【ホリスティック医学コース・基本科】の講座を受けました。
2つの講座を1日で受講してきました。
【疲労&ストレスのホリスティックケア】
【統合(インテグラル)理論・思想】
14時~20時30分までの長丁場でした。
第一部の疲労とストレスのホリスティックケアは、実際に自律神経測定器で自律神経の測定をして頂きました。
実際に自律神経測定器で測定をしてみてとっても驚いたことがあるのです。
SDNN(ms)が17.41だったのです。
年齢による平均値が45に対して私の数値は【17.41】だったんです。
年齢による平均値が45に対して私の数値は【17.41】だったんです。
何と!20以下は【専門医へ】という目安らしいんです。
このSDNNとは【記録時間内の心拍数の感覚変化】を調べるものなのです。
これはエネルギー【力】を表します。
自分では元気だと思っていましたが【要休養】レベルだったんです。
自分では『疲れていない』と思っていたが、その疲れを感じないほど自律神経がマヒしちゃっているらしく、下手したら突然バッタリ倒れるパターンらしいんです。
私が自律神経測定器に対して感じたことがあるんです。
これは、良くも悪くもです。
【自律神経測定器の結果からの考察】
・これまで私は疲れも感じていなかったのに、知ることでガックリきた。
・悩みは普通の人並みだと思っているが、なぜ?
・この状態で病院に行かねばならないのか?
・悩みは普通の人並みだと思っているが、なぜ?
・この状態で病院に行かねばならないのか?
・あらゆる物への興味や意欲もあるのに、数字は何をあらわすか?
・やりたいことをセーブして休養しなくちゃならないのか?
・やりたいことをセーブして休養しなくちゃならないのか?
・やりたいことをセーブした方が私にはストレスになる。
・会社での仕事は普通にこなしているのになぜ?
・仕事量も少な過ぎるくらいに思っているのになぜ?
・仕事をこれ以上セーブする方が私にはストレスになる。
・仕事量も少な過ぎるくらいに思っているのになぜ?
・仕事をこれ以上セーブする方が私にはストレスになる。
・検査結果を見て、自分が病気に思えてきた。
(;^_^Aこのように【自律神経測定器】は、数字上は【専門医へ】みたいな失礼な結果であったが、本当に私は専門医の診察を受けた方がいいのであろうか?
『私は病気だ』と感じながら暮らすべきか?
『私は元気だ』と感じながら暮らすべきか?
とにかく気力があっても身体が追いつかないタイプなんだと思います。
特に自律神経は【内臓】の神経を支配していますから、私の場合は【内臓疲労】なのかもしれません。
とにかく【身体の声を聞きながら行動する】のが良いみたいです。
私はこの自律神経測定器をする前に、地下鉄の路線を乗り間違えて、走って到着して心臓がまだバクバクしながら測定したのもありますが、、、、、。
(少し休んでから測定しましたが、実はまだ心臓はバクバクしていた。)
(少し休んでから測定しましたが、実はまだ心臓はバクバクしていた。)
ですから、この数値が正しいのかどうののかはわかりせん。
こうゆう【検査の数値】って、人を落ち込ませることはあっても【病気を治してはくれません】
そう考えると【数字】って冷たいなぁ~って思います。
事実を突きつけるだけなんですから!
その検査データを見て、どうやって【気分を盛り上げるか?】がやはり大切であって!
だから【身体】だけでなく【心】と【精神】の全てを見なけりゃならないってことなんですよね~
だから【身体】だけでなく【心】と【精神】の全てを見なけりゃならないってことなんですよね~
本当『検査データ』って『冷たい』としか感じられませんでした。
しかし、だからといって『精神力』で乗り切ろうと言うのは『現実を見ていない』ことになり【逃げ】ているだけにもなるんです。
ですから講師の先生が口を酸っぱくしておっしゃっているのは【スピリチュアル】などの精神だけに偏ったフワフワした世界だけに偏るのは、単なる【逃げ】であるとのこと。
確かに!
検査結果により自分の【闇】を知って、それに対して『精神論』だけで解決出来る訳ではなく、栄養を摂取したり、運動をしたり、休息をしたりと【闇】に光を当てていかねばならないということになる。
【光と闇】はセットであり、片一方だけで考えるのではないとのこと。
今回の自律神経測定器の結果を見ると【力は弱い】が【バランス】は良かったんです。
バランスとは交感神経と副交換神経のバランスのことです。
確かに精神的に、イライラしたり過剰に不安になったりするようなことはありません。
ただ【意欲】はあるけど【内臓疲労】。
だから車で言えばエンジンの【空ぶかし】でオーバーヒートだと思います。
だから【パワー不足】となり【力不足】となるのです。
こりゃ本気で【内臓疲労】の対策をしなきゃならないようだ。
胃も痛まなければ、頭痛もない。
痛みはないが、思い当たるのは消化能力と腸と肺だと思います。
よくよくかんがえれば結構、自覚していたりする、、、、、心あたりは確かにある。
よくよくかんがえれば結構、自覚していたりする、、、、、心あたりは確かにある。
しかし、今でも結構元気なのに、これ以上元気になったら私はもっと元気になってしまうのか?
本当の力を出した私はどんな人間になるのだろうか、、、、、、、『(;^_^A少し怖い、、、、、、、』
本当の力を出した私はどんな人間になるのだろうか、、、、、、、『(;^_^A少し怖い、、、、、、、』
自律神経測定器の検査結果でわかったことは、、、、、。
私は『まだ本気を出していなかった』ということです。
あと【インテグラル理論】にウィルバーについてのセミナーに参加するのは、今回で2回目となります。
ホリスティック医学の視点をもつために【インテグラル理論】を学ぶ必要があるのです。
ただいろいろな代替療法を横並びにすることは、本当の意味での【統合】ではありません。
その「統合理論(インテグラル理論)」をトランスパーソナル心理学の旗手といわれたケン・ウィルバーの著作から学ぶための講座だったのです。
インテグラル理論とは【統合的(包括的)な理論(思想)】という意味です。
【インテグラル理論】
ものごとを統合的、包括的にとらえるための枠組みを示すこと。
ウィルバーは【真・善・美】をビッグ・スリーと呼び、統合的な理解に必要な【知】の三領域としました。
このビッグ・スリーが、私たちが世界を見るときの、最も基本的な三領域といえるそうです。
【真】・・(三人称)科学による客観的な事実、経験の領域。(それ、それら)
【善】・・・(二人称)道徳や倫理による共感、間主観的な合意の領域。(私たち)
【美】・・・(一人称)芸術による喚起される主観的な領域(私)
これら【真・善・美】の統合こそがソクラテス、プラトンのいう【善く生きる】ことであり、統合的な理解に基づいた生き方を可能にする【知】であるということを意識しながら生活すると、意識構造が時間をかけて段階的に発達してゆくのだそうです。
近年は、科学によって研究された客観的な事実やエビデンスなどの【真】を絶対視する風潮が肥大化しています。
ウィルバーは、この肥大化した【真】を、【フラットランド】と呼んで批判しています。
【高学歴】と【知性】や【精神】はイコールではなく、高学歴でも幼稚な考えの人は、ある視点に偏っているということだからだそう。
ですから精神活動のレベルを構築するには【統合的な理解に基づいた生き方、それが【知】であり、意識の発達がもたらされるそうなのです。
【意識構造が変化】すると【レンズの性能が良くなる(物事の見方、捉え方)】、そして【個人が経験する世界の光景が質的に変容する】そうです。
このような【意識構造】には段階があり、普段から統合的に物事を捉える訓練をしてゆくことで成長してゆくのだそうです。
【真】に偏るとは、エビデンスが絶対的、為替や金儲け、外面的、科学、経済、システム、エコロジー、自分さえ(個)、、、、昨今は、この領域が肥大気味である。
偏った領域のみでは【意識の段階は上がらない】
【真(外面的、個的、客観的)】だけでなく統合的に物事を捉えることで【精神活動段階的に発達】してゆく。
ですから【スピリチュアル】に偏り過ぎるのも【意識の向上】ではなく幼稚性に引き下げられる場合があるそうです。
【意識の段階】は【意識の引き上げ】と【意識の引き下げ】があるので、高学歴でもスピリチュアルに偏りすぎて【私の世界】に飛んでいってしまう場合があるそうなのです。
非合法的なものをスピリチュアリティと言ったりしますが、あくまでもスピリチュアリティは【私(個的)】に偏りがちだが、スピリチュアルを統合的に捉えるには【人類の集合的な経験による歴史】や【人類の心に刻んできた集合的なイメージ】など、このような【集合的】な捉え方をするだけでスピリチュアル(超個的イメージ)が【引き上げられる】のだそうです。
私は、これまでホリスティックを【全体的】として捉えることだと理解はしていましたが、インテグラル理論を学ぶことで【統合の意味】や【全体的な捉え方】について、なぜそうしなければならないかがよおく理解出来ました。
【身体は繋がっている】から『全体的に考えなければならない』というような単純な捉え方では【まだまだ】だったんです。
私はインテグラル理論に大変興味を持ってしまいました。
【要休養人物】なのに、また意識が広がってしまいました。
(;^_^Aいつ休もうか、、、、、、。
ホリスティックを勉強しだすとやばいです、、、、、終わりが見えない、、、、エンドレス。
ウィルバーは、この肥大化した【真】を、【フラットランド】と呼んで批判しています。
【高学歴】と【知性】や【精神】はイコールではなく、高学歴でも幼稚な考えの人は、ある視点に偏っているということだからだそう。
ですから精神活動のレベルを構築するには【統合的な理解に基づいた生き方、それが【知】であり、意識の発達がもたらされるそうなのです。
【意識構造が変化】すると【レンズの性能が良くなる(物事の見方、捉え方)】、そして【個人が経験する世界の光景が質的に変容する】そうです。
このような【意識構造】には段階があり、普段から統合的に物事を捉える訓練をしてゆくことで成長してゆくのだそうです。
【真】に偏るとは、エビデンスが絶対的、為替や金儲け、外面的、科学、経済、システム、エコロジー、自分さえ(個)、、、、昨今は、この領域が肥大気味である。
偏った領域のみでは【意識の段階は上がらない】
【真(外面的、個的、客観的)】だけでなく統合的に物事を捉えることで【精神活動段階的に発達】してゆく。
ですから【スピリチュアル】に偏り過ぎるのも【意識の向上】ではなく幼稚性に引き下げられる場合があるそうです。
【意識の段階】は【意識の引き上げ】と【意識の引き下げ】があるので、高学歴でもスピリチュアルに偏りすぎて【私の世界】に飛んでいってしまう場合があるそうなのです。
非合法的なものをスピリチュアリティと言ったりしますが、あくまでもスピリチュアリティは【私(個的)】に偏りがちだが、スピリチュアルを統合的に捉えるには【人類の集合的な経験による歴史】や【人類の心に刻んできた集合的なイメージ】など、このような【集合的】な捉え方をするだけでスピリチュアル(超個的イメージ)が【引き上げられる】のだそうです。
私は、これまでホリスティックを【全体的】として捉えることだと理解はしていましたが、インテグラル理論を学ぶことで【統合の意味】や【全体的な捉え方】について、なぜそうしなければならないかがよおく理解出来ました。
【身体は繋がっている】から『全体的に考えなければならない』というような単純な捉え方では【まだまだ】だったんです。
私はインテグラル理論に大変興味を持ってしまいました。
【要休養人物】なのに、また意識が広がってしまいました。
(;^_^Aいつ休もうか、、、、、、。
ホリスティックを勉強しだすとやばいです、、、、、終わりが見えない、、、、エンドレス。