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Channel: 不登校☆苦戦中☆第二幕
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・【共鳴】によるパワー(´・Д・)」息子のノートと感謝・

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画像【息子のNOTE】

今朝、息子が寝ている間にいつもコチョコチョ書き込んでいるノートを除いてみたんです。

疑う訳じゃないけれど、状況を皆さんにお伝えする為に少しばかり写真を撮らせて頂きました。

小6の11月から学校に通えなくなって、中学と高校は丸々通えなかったのだが、誰にも教えられず自習で勉強しているんです。

本来であれば【高校三年生】なのですが、高校卒業資格だけは去年取得致しました。

その際の単位取得テストにおいても全て80点以上だったと後で教師に聞きました。

小6から学校へ行けなくなりましたので、英語などは単語も書けないような状況からスタートしたんです。

それなのに現在は英検2級のテキストを勉強しているんです。

英検のテストについては、私の手違いで【本人確認書類】を持たせるのを忘れてしまい現地に向かったのですが、テストを受けられず寒空の中外で私が迎えに来るのを待っていたんです。

( ;´Д`)『これは私のうっかりミスでした!本当に本人に悪いことをしたと反省しています』

息子がこれだけの勉強をするようになったのは、期間にすると【たった一年間】でこれだけの勉強量をこなしたんです。

全ては【ナイスタチンによる除菌治療】の後、明らかに認知力、学力、やる気、意欲などが向上したんです。

ナイスタチン治療を始めて3ヶ月程でま【将棋の技を学びだしました】そして今度は【ギターを独学で弾きたいと言い出しました】

明らかに【意欲が向上】したんです。

ナイスタチン治療の数ヶ月前は、意欲や勉強なんて出来る状態ではなかったんです。

【炎症を抑える】ことで、5年もの長い間【不安感、記憶力低下、識字障害、こだわり、外出恐怖】などに苦しんできたのに【除菌治療】によって、たった数ヶ月でこれらの症状が沈静化していったのです。

私はナイスタチン治療を始めて数ヶ月後に将棋やギターなどに対する遊びに【意欲】が出てきたのを感じ、『もしかしたら、記憶力が戻ってきたのかもしれない?』って感じたのです。

それまでは、どれだけ引っ張ろうと、たった一時間の保健室へさえも岩のように動かす事が出来なかったので、塾に通うのも出来ず、勉強意欲も無かったのです。

それが【遊びに対する意欲】が見られたので私は少し高校認定試験のサポート校の半年コースの学校に資料を請求してみたのです。

私は学校は、除菌治療後、重金属のキレーション後に考えようと計画していました。

とにかく完全に休養して身体を治してから、勉強すればいいやと考えていたんです。

焦らせる気持ちは全くありませんてましたが、情報を得る為に高校認定試験サポート校に資料請求してみたんです。

資料をメールで請求した際に、短い文章でこれまでの経緯を書き加えて資料請求したんです。

私はまだ勉強は早いと思っていたので第一学院高校のみに問い合わせて、何も比較など行わずに『どんなシステムなのか?半年で高校認定試験に合格出来るのか?』と殆ど興味本意で資料請求したのです。

そしたら、仕事中に着電と留守電がスマホに入っていたのです。

その主は第一学院高校の校長先生だったんです。

私は最初、どうしてメールで資料請求しただけなのに仕事中に【電話】をしてくるだろう?

などと一瞬【強い勧誘】だと思ってしまったのです。

だから無視していたのです。

そしたらその後でメールが届き『先ほどは、いきなり電話をしてしまって申し訳ありませんでした、お母様のメールを見て私はいてもたってもいられなくなり、思わず電話をしてしまいました』という内容のメールを下さったのです。

この女性の校長先生は、不登校の子供達に対しての活動歴が何十年もされているプロの方が、いてもたってもいられなくて、相手の都合も考えずに思わず電話をしてしまったと言うんですから。

私は【情の厚さを感じ】、これはご縁ではないかと思ったんです。

最初は、通わせる気持ちも無くシステムを知るための資料請求だけのつもりだったんです。

それで、資料請求の翌週に早速息子を連れて校長と面接したのです。

息子は、除菌治療をする迄は、勉強することや学校に通うことなんて全く無理でしたから、第一学院高校のことを話しても『行けるだろうか?』と私は思っていたんです。

しかし、私が『高校認定試験』について説明し、その勉強を教えてくれる学校があるけれど、一度話を聞きに行かないかと息子に尋ねてみたんです。

そしたら『行ってみる!前から学校に行きたかった!』って私に言ったんです。

そうなんです『前から学校に通いたいのに、身体が動かせなかったが、やっと身体が言うことを聞いてくれたのです』

このように、資料請求した翌週には【校長と面接】して、トントン拍子で第一学院高校に通い始めて、本当に半年で【高校認定試験に合格】したのです。

出会いって全てに意味があるんだなぁ~ってこの時思ったんです。

この医師、この学校、この人に出会うべくして出会ったように感じたんです。

一つ流れると、凄い勢いで人生が動くんです。

流れる時は、自分では止められない程動くんです。

流れない時は、どれだけあがいても流れなかったんです。

【自我】によって周りを変えようとしても絶対に変えられないんです。

でも【潜在意識】が自分以外の人と【共鳴】して動いたパワーは、必死に流れに付いて行かなきゃならないくらいスピードが早いんです。

私は、様々な病院で診察拒否をされたりしましたし、自分の考えと違う病院を拒否してきました。

これは全て【自我】によって、必死に自分の思い通りに周りを動かそうとしてたんです。

周りは自分の思考が形になって現れた虚像ですから、周りを動かそうとしても、周りは変えられないんです。

なぜ変えられないかと言うと、私が見て入る人たちは、私が作り出した思い込みによる人達だからなんです。

結局は、自分の思考が自分を苦しめていたんです、

私は、この当時医師探しは諦めていたんです。

最後だと思って諦め半分で宮澤医院にメールでこれまでの経緯を問い合わせてみたんです。

メールで医師に問い合わせても、無視をされたり断られたりしてきたので、それ程期待をせずにメールで問い合わせてみたんです。

そしたら『グレートプレンズ研究所の検査結果を送ってくれたら見てあげますよ』って感じの内容のお返事を下さったのです。

しかも、私のメールをよく読んで、それに対しての回答が的確だったんです。

予想外の反応だったので、医師の気が変わらないうちにって思い、私は慌てて検査結果をコピーして封筒に詰めたんです。

私はお手紙を書く風習がなく、家に便箋と封筒がない事に夜気が付いたのです。

慌てて娘にちゃおの付録の便箋と封筒を頂戴と頼み込み、診察をして貰えるようにお手紙を書いたんです。

何回も書き損じて、付録の便箋が無くなってしまって、1枚目と2枚目と封筒が結局全て柄違いの上に、最後の一枚も漢字を間違えてしまい、、、、、ボールペンで字をグリグリと消して、、、横に【す】とかって訂正した記憶もあります。

きっと先生は私のことを【アホな人】だと思ったのではないでしょうか?

結局、診察して頂けることになり私は、自分がやりたい治療方法を説明する為に【エイミーヤスコ】先生の本を手に持って息子を連れて診察に言ったんです。

これまで話してきた医師の殆どがショー博士のこともエイミーヤスコ先生のことも、知らない人が殆どで、自分がやりたい事が伝わらなかった経験から、宮澤先生がエイミーヤスコのことを知らなかった場合の為を考えて、わざわざ本を持参して診察したんです。

話してみたら何でもご存知で、めちゃくちゃ勉強されている先生だったので、私はとても感動したのを覚えています。

やっと話をまともに聞いてもらえた感覚がありました。

私はこの5年ほど、カウンセラーや教師や医師などと様々な人と話してきましたが、話が伝わった感覚がありませんでした。

いつもストレスを抱えていて、息が深く吸えなかったんです。

喘息治療の点滴をしても、息が深く吸えなかったんです。

それが宮澤先生と話したら深く呼吸が出来るようになったんです。

しかも、誰も処方してくれなかったナイスタチンをすんなり処方して下さったんです。

後で知ったが、宮澤先生は博士の資格をお持ちなんです。

そりゃ、詳しいはずだと後で理解したんです。

どうして葛飾区に博士の資格を持った医師がいるのかと驚いて、私はチョコボールの銀のエンゼルマークが当たった気分だったんです。

結局は、代々宮澤医院を受け継がれてそこにいらっしゃったんです。

こうやって考えてみると【共鳴】って凄いパワーなんだって思っています。

本当に皆様に感謝で一般です。m(_ _)m『ありがとうございます』






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