自分の仕事人生を振り返ってみると、すべて【説明】をすることをやってきました。
だからロクな事務仕事が出来ません。
反対に8時間もジッと同じ椅子に座っていられないと思います。
その姿を想像しただけで『1日喋らず事務仕事なんて絶対に無理~』って思います。
今は金融機関で数十年以上働いていますが、スタートはリトミックの講師をしていたんです。
平日の昼間は、全ての曜日を様々な私立幼稚園を数々まわって全園児を一人で教えるお姉さんだったんです。
夕方から夜にかけては、幼児から小学生までの子供達の教室をやっていて、曜日ごとに公民館をまわって教えていたんです。
特に幼稚園の仕事が大変だった記憶があります。
幼児は字が読めないから説明書を渡して説明することが出来ないんです。
全て身振り手振りと言葉などでコツコツ教えていくんです。
運動会のダンスも全園児を私一人で教えていたんです。
音楽を選んで、振り付けや並び方なども全てやんなきゃならなくて、それを身振り手振りで何百人もの幼児に教えるんです。
子供は素直だから、面白くない説明をすると集中力が途端に切れちゃうんです。
だから全員を私に集中させる話し方をしなくちゃならなくて、とても大変だったんです。
その仕事は2年くらいで辞めてしまったんです。
その当時、大好きだった人が銀行マンだったんです。
徐々に、この人と同じ仕事に携わりたいって思うようになっていったんです。
そして、どんどん金融業に興味が湧いてきて勉強をするようになり、、、、、。
そして金融機関で働きたいって思うようになって転職したのがキッカケなんです。
(;^_^Aとても安易な理由で金融機関の道に入ったのです。
証券会社の営業はキツかったのですが、大人相手の説明の場合は、字が読めますから【資料】を見ながら説明出来るんです。
これまで字が読めない幼児の集団相手に説明をしてきましたから、マンツーマンで資料を見て説明をする証券会社の営業の仕事が【簡単】に思っていたんです。
だから難しいという感情がまったくなかったので、営業成績も伸びていって社長賞なども頂くほどだったんです。
ですから、人生って無駄な経験は一つも無かったんだなぁ~ってその時感じていたんです。
あのリトミック講師の2年間の苦労があったからこそだったんです。
その後、数年証券会社の営業をやっていたのですがお年頃にもなり、結婚して出産したのをキッカケに一旦会社を退職したのです。
私はずっと動いていたので、家で音の無い世界で過ごすことが今度は辛くなってきていたのです。
もともと小さい頃から洋裁や手作りなどが得意だったのもあり、ホームページを作って販売したりデザインさたりお店に卸したりするようになって、あとショッピングモールの一室を借りて教室などをするようになったんです。
日中は、子供を毎日公園で遊ばせてお昼寝タイムや夜の時間を主に使ってネット中心に活動をしていました。
それも数年やりました。
これまでの金融機関での営業を活かしながら、出版社や企業に自分を売り込んだりしていたんです。
しかし、当時は睡眠時間が3時間くらいだったんです。
全て一人でやっていたので『(T ^ T)もう限界~って思うようになったんです。』
そして、子供も大きくなったことだしってことで、又金融機関に戻って今に至ります。
今は、様々な人に中立的な立場で金融商品や相場の説明をする仕事をしています。
今は、様々な人に中立的な立場で金融商品や相場の説明をする仕事をしています。
このように振り返ってみると、全てが【説明をする仕事】だったんです。
業界は様々だけど共通することは【説明】なんです。
今の仕事は営業ではなく、中立的な立場で話さなくてはならず、お客様からの指名が出来ないのです。
しかし私の説明じゃなきゃ嫌だって人が有難いことに数人いらっしゃるんです。
誰に当たるかお客様は選べないので、私の説明に当たるまで2日間問い合わせし続けたという男性がいらっしゃいました。
(;^_^A他の人も一般的な説明は出来るはずなんですが、何故か私じゃなきゃ嫌だと言うんです。
私も息子の病気を通じて様々な病院を回りましたが『この医者は嫌だ!話しをしたくない!』って思ったりしましたから。
【説明】って知識だけじゃないんです。
相手の気持ちを理解しながら説明をしなけりゃ通じないんです。
子供達は素直ですから、機械のような説明なんかしたら途端にソッポを向かれちゃうんです。
色んな経験をしたから今の私が出来上がったんだと思います。